埋葬

 

シャーペンの芯をカチカチ伸ばし、机に押し付けては折って、
またカチカチ伸ばし、机に押し付けては折って。
卑屈さや自分の弱さから暴力のとりこになった人間と付き合うということは
こういうことだったんだななんてぼんやり思う。
折れた芯をそっとつまんでティッシュに乗せ、
供養してやる。

 

 
ひとが築くすべての人間関係の雛形は、親子関係だと思っている。
今から三年前、コンプレックスの奴隷のような人間にすべてを支配されてしまっていた時期があったのだけれど、
苦しい胸の内を部分的に吐露するとひとは必ずこう聞いた。
「なぜそんなに長く付き合ったの?」
もしくは
「なんでそんなのを好きになったの?」

 

必ず答えにつまり、ひゅう、と息を飲んで
その場しのぎの回答をするのだけれど
結局のところそこにはなんの本質もない。
親との付き合い方がそうだったから、
愛とは不安と恐怖と暴力にコントロールされた上でときどき餌のようにちらつかされるものだと思っていたから。
そして、その狡猾で自己愛とセットで被害者意識が強く、
愛する者を叩き潰すようにしてでしか自分の味方かどうか確かめられない愚かな男は、
わたしの親がそうしてきたようなやり方でわたしを愛したから。
 

男はどこか自分自身の致命的な頭の悪さをわかっていたがゆえに
わたしとわたしの言葉とを恐れ、
その恐れを上書きするように「お前は愚かだ、俺を信じろ」と
暴力的なカルトの洗脳方法で自分とわたしに呪いをかけた。
君は聡明だよと100回も200回も言ってくれて
なんでも注いでくれたひとの言葉はわたしの中でいともたやすく無力なものに成り果てた。
わたしがわたしの価値よりも、無力さの方を信じていたからだった。
 

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一時的に東京を去り、
そしてまた一時的に東京に戻ってきた。
三ヶ月ぶりに見た東京の光に、飛行機の上から涙がこぼれた。

 

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