さようならの似合う眠り

 

長かったと思う。
何も知らずただ生意気だったわたしがたどたどしく握ったペン。
そのペン先が導いた先にはいくつかの出会いがあって、
いくつかの喜びのメルクマールがあって、
だから突き進む先には当たり前に終わりがあるんだろう。
 

神は細部に宿る、と言われる。
もとは建築デザインの世界の言葉だけれど、
職人的な技巧と心意気が必要とされる場では
きっと関わる誰もが少なからずそれを意識する瞬間というのが
あるのではないかと思う。
 

先に形をつくること、終わらせることがまず始まりという
正解もある。
ブラッシュアップはその後にいくらでもできるものだから。
何より完璧な職人芸がいつも求められるわけではない。
愚にもつかないこだわりよりも大局こそ大事とされる風潮にも
きっと真実はある。
でもわたしが見た美しさは、いつだって誰の目にも留まらないような
小さな小さな一点にあった。
 

その的を目指したやり方は結果的に間違いだったのかもしれない。
茫洋と広がる冷たい海をひとりでクロールし続けた日々は
小さな孤島をいくつか与えてくれたけれども
わたしを広い大地には連れて行かなかった。
けれど、息を止めて見つめる先。
雲が裂けて光が射すその瞬間。
臨死体験をした人が語る「とても大きな力の介在を感じた」という
強烈な体験にも似たそれ。
一つの道を志すひとにだけふいにもたらされる
とても「開かれた」感覚の世界が、たしかに、たしかに存在する。
 

わたしが見られたのはその尻尾の先の先で
またたきの瞬間を間違えたなら網膜にも残らないようなほんの、
一瞬。
だけどもしかしたら勘違いだったのかも、なんて
弱気なことは思わない。
命を懸けてとても遠い一点をめがけて飛んだから
わたしは自分の手応えをただ信じている。
針の先のような向こうの世界には
たしかに神様がいた。
 

例えばそれはあなたの持つ絵筆が、
あなたの繊細な指に添う針が、
あなたの手にする汚れた工具が、
あなたの声を乗せるマイクが、
汗を流したあなたを導き、到達させる向こう側なのかもしれない。
長く長く、一瞬なんかじゃなくて永遠に。
 

わたしはここで筆を置きます。
美しい夕暮れが迎えにきてくれたから
悔し涙は安らぎに塗り替えられて
穏やかに新しい地を踏めそうです。
この10年で初めてようやく落ち着いて眠れそう。
これはきっと、おやすみよりもさようならの似合う眠りです。
 

お願いがあります。
もう一度目が覚め、もしまだ見ぬあなたがたにいつか会えたなら
ぜひわたしに教えてほしいのです。
神様はどんな顔で笑っていたか。
 
 
 

空港
 

                          2015.4.5 

 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中