「生きてるうちに出会ういいこと」について

帰宅するなり手も洗わないうちからテレビをつけて、
天気予報を探す。
毎年このシーズンがくるとそわそわ落ち着かない。
強風が淀んだ日々を吹き飛ばして
雷雨が毎日の滞りを洗い流して
人生ごとどこかに運んでくれないかなとうっすら期待している。
 

酸っぱすぎるワインを空けたら
もう起きている価値もない夜が続くので、
さっさとシャワーを浴びて
汗も引かないうちに眠りに落ちる。
浅い眠りの中で嫌な夢をいくつか見て、
夢よりもおもしろみのない世界にふっと引き戻されそうになるから
歯ぎしりをほどいてはまた深く眠る努力をする。
 

朝。
台風は逸れて、じわじわ体力を奪う都会の夏は本格化した。
未練を捨てきれずに長靴を履いて
日傘のかわりに雨傘を持って会社へ行くけれど、
長靴を履いているのも雨傘を持っているのも
この街にわたしひとりきりで、
なにも。
願いが聞き届けられそうな予兆はなにも。
 

IMG_0408
 

灯りを避けながら暗くじっとりした道を選び、
どうせ知っている誰ともすれ違ったりしないのだからと
手にはビールを持ってのたのたと帰り道を行く。
虹が出たらしいけれど知らない。
満月らしいけれどここからは見えない。
伸びをして立ち止まり、あえて口にしてみようと一つ自分を許す。
 

「生きててもなぁんにもいいことないなー」
 

そのときゆっくりわたしを通り過ぎたワイシャツの男は
少しぎょっとした様子で瞳を振るわせ、
けれどそれを気取られないよう彼のペースで先に行く。
ばつの悪さに顔をしかめ、
男に追いつかないよう計算しながら歩いたのに、
交差点で彼は信号待ちをしている。
 

長く変わらない赤信号を気の抜けた様子で見つめているらしいことは、
顎を上げて首の後ろがすっかり見えなくなっている
だらしない姿勢でよくわかる。
ああ早く、早く青にならないかなと、
本当に生きてても何もいいことってないんだなと思っているところに
 

「本当にないですよね、いいこと」
 

は、と短い声を漏らすわたしをじっと見つめ、
彼は青信号が迎える先へと向き直る。
 

「はい!ありませんよね!!」
なぜか焦って大きく叫ぶわたしに苦笑するように
一度だけ肩を上下させて踏み出す彼の右手には、
わたしと同じく雨傘が握られていた。
 

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