あなたがくれた

 
自分の名前が好きだ。
音の連なりも意味も良いと思っているけれど、
なんたって紙に書いたときの字面の並びを見て
我ながら「美しい」とさえ思う。
 

クレジットカードを切って
レシートにサインをするわたしの筆運びを見て、
おともだちが「きれいすぎて、自分でつくったみたいな名前だね」
と言ってくれたことがある。
褒められるといつも否定の言葉が口をついて出てしまうけれど、
このときだけは
「そうでしょ?」と笑った。
 

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名前というのは
子どもが親から与えてもらう
初めの大掛かりなプレゼントであり、
自分専用の物語だと思う。
 

ちなみにわたしに託された物語は
「万里の長城のように世界一大きく長く悠久に続き、
そしてさらに良いものが加えられる人と人生であるように」
という壮大なものだ。
名前負け必至でもかまわない。
いさかいも誤解もすれ違いもあったけれど、
愛情深い両親が与えてくれた物語に心底感謝している。
 

IMG_1428
 

『瞳が合ったなら、名前をつけて。』という本ブログのタイトルは、
無形にしろ確かにそこに存在する大変に繊細なものを
ほんの少しでも感じたなら、
名前という形を与えることでこの世に「生んで」ほしい、
という祈りを込めてつけたものだった。
 

例えば、温かで柔らかな想いが浮かんだら、
それを「愛」と呼ぶもよし、
「慈しみ」と呼ぶもよし。
形を与えることは制限を与えることにもつながるから、
風味豊かな無形の者を無理に枠にはめてしまうのが
必ずしもいつも良いかはわからない。
しかし、それとはまた別問題で、
何かを言葉にする(名前をつける)ことが
滋味に溢れた無形のものを
この世に確実に存在していることを強化し、
共有できる力になることは否定のしようがない。
 

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わたしは当初、別の名になる予定だったという。
けれど名前を提出しなくてはならないぎりぎりの期限になって、
父が「万里加がいい」と言ったらしい。
できすぎな名前と物語を生んで
わたしの輪郭をつくってくれた父が
今朝方夢に出てきた。
わたしのブログを楽しみにしていて、
全部プリンタで打ち出して読み返しており、
こっそりいろんな名前でコメントをしてくれている、
といった内容だった。
 

生前は決して素直になれず
衝突も多かった仲だったけれど、
夢の中ではいつも仲良くできていて、
濡れた瞼をぬぐう朝をむかえるたびに
満たされている自分に気づく。
償いにも傷を癒すのにも時間がかかる。
9年は、やはり長い。
 

:::::::::::::::::::::::::::::::::::
 

そんなわたしにとって特別な思い入れのある自分の名前を
もう忘れてたって当たり前なのに
フルネームで覚えてくれていたひとがいて、
「瞳が合ったなら、名前を呼んで。」
って思ったのは、また別の、そして秘密の話。
 

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あなたがくれた」への3件のフィードバック

    • かなこちゃん、こんばんは。
      コメントありがとう!
      あれ、でももしこれが夢のとおりならコメントしてくれているあなたは…
      ほんとはわたしのお父さんかもしれないね。笑

      いいね

  1. わたしは自分のへんな名前がきらいで、でも好き、という複雑な気持ち。
    名前が自分に与えられた物語、というのは名付けのエピソードも含めてとてもすとんときました。
    ますますすてきなブログになったね。
    またお話ししたいなぁ、メールをするね。

    いいね

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