feel faint.

 
忘れるのが苦手だ。
年齢を重ねてすこしは楽になってきたけれど、
それでも無意識に脳内に蓄積していくファイルに
疲れを感じることがある。
 

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朝、その日着ていく服を選ぶためにタンスを開ける。
棚にみっちり二列に分けて入れられた衣服を
ざっと眺めると、意識が「服を読んで」ざわつきはじめる。
 

この服は●●で買ったもので、
着ているときに郵便局の裏で同級生とばったり会った。
この服は渋谷の●●で買ったけれど
もうあの店はなくなってしまった。
この服は●●で買って、
試着したときにともだちが褒めてくれて、
その夏いっぱいこればかり着ていた。
この服は●●のセールで買って、
接客してくれた店員さんとなんとなく相性が合わなかった。
この服はーーーーーーーー。
 

「寝すぎちゃったな、急ごう」
「コーヒーを飲もう」
なんて日常を運ぶための動作と意思の下で
次々と息を吹き返す思い出の断片は、
わたしにとっては聞き慣れたノイズ。

やんわりしたストレスを感じつつも、
ノイズがあること自体に気が付けないほどに
耳に馴染んでしまっている。
 

小さな疲れが降り積もる。
音を吸い込みながら舞う雪みたいに。
 

幼い頃。
特定の文字に色がついて見えることを妙に意識したとき、
それも脳の処理に負担をかける要素になって
そういえば「苦しいな」と感じていた。
 

「説明なさい、言わなくてはわからないでしょう」
と大人に言われるたび、
脳にかかる負荷の大きさに愕然としていた。
自分の感情は単色では表しようがなく、
子どもの語彙力では到底説明不能で、
また限りなく努力して言葉にしたところで
長い説明のために必要な時間を払ってくれる人間も
いないであろうことを知っていたから。
 

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筋肉痛のように脳がしびれを感じはじめたら
目を閉じる。
 

誰ひとりいないぴかぴかの高層ビルの中、
どこかの会社のフロアから
わたしは外を見つめている。
日は暮れかけそうなオレンジ色で、
まだ水色を残した空を見たこともない熱帯魚が飛んでいる。
悠々と、気持ちよさそうに。
 

乾いた寂しさがすうと空間を横切るのを感じて、
そしたらわたしは、またこちらに戻ってくる。
疲れはすこし、癒されている。
 

写真:東京国立近代美術館「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション展」2010年/伊東豊雄氏作品(撮影はブログ著者)

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