おめでとう、おめでとう。鐘が鳴る。

 
わたしの夢にはレイヤーがあって、
その深度によって見る内容の系統が異なる。
1つ目は「日常の記憶や感情の整理をするため」に見る夢、
2つ目は「少し近未来的なパラレルワールドで過ごしている」夢、
3つ目は「人間の世界とはやや異なる位相にある世界から
何かを受信する」ときの夢。
 

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所詮すべてただの夢で、
満たされなかったり解消されなかった欲求や感情を
発散するために見ているだけーーと結論づけようにも、
そのレイヤー独特の「空気と湿度と温度」の方が
ずっと説得力ある強さをもって体感に染みついている。
 

2012年の秋口頃(※注)に不思議な夢を見た。
 

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同じ場所にも違う場所にも
わたしが同時的にたくさん存在していて、
おそらく日常の感覚では処理しきれないくらいに
たくさんの、わたしたちがいる。
 

すべてのわたしは土管や井戸の中などにいて、
汚物にまみれながらも光の射す方へ這い上がろうとしている。
汚泥に苦戦するわたしを別のわたしが支えてくれ、
たくさんのわたしたちが触れあうことになる。
わたしがわたしに重なり合い、
助け合いながらどうにか外に出られた。
 

DSC04087
 

そこは大掃除が行われている大教室のような場所だった。
机の上に椅子があげられていて、
それをいろんなひとが部屋の後方に下げている。
みんなとても忙しそうだ。
まるで小学校のときの掃除の時間の光景だけれど、
異様だったのは壁が「物質ではなく、空のような何か」であったこと。
よく見ると、そこにはシスティーナ礼拝堂の
「アダムの創造」のような構図で手を差し伸べ合う神々がいた。
 

vatican7
( 写真引用元:バチカン市国 [世界遺産] All About http://allabout.co.jp/gm/gc/377880/

 
無表情でやや疲れ気味にがんがん机を下げていくひとびとの中、
わたしは棒立ちでその光景を見つめていた。
ふと、遅れてさきほどの
「汚泥にまみれたわたしたち」のことが頭に浮かぶ。
 

わかったーー。
雷が走ったようなビビッドなひらめきがわたしをつらぬいて、
細切れの理解を遥かに超えたインスピレーションが降りてきた。
同時に「おめでとう、おめでとう」という祝福のように
たくさんの鐘が鳴り響く。
耳で聞くのではなく、まるで体全身に歓喜が叩き込まれるよう。
 

DSC04094
 

あえてそのインスピレーションを言葉にすると
「どんな過去のどんな世界のどんなシーンの
わたしも受け入れ、得てきた智慧と経験を統合させること」
みたいな感じだと思うけれど、
それ以上に豊かな広がりのある意味が全身を駆けめぐって
「満ち足りている」という感覚がすさまじかった。
 

壁の神々は立体的に浮かび上がってきて動きだし、
鐘の音はいつまでも高らかに響き、祝福は続いた。
音は目に見えるようにはっきりと空間を揺らし、
一帯が喜びで満たされていた。
 

DSC04089
 

 
印象的なのは、つたないながらも言語化できるのが奇跡的なほど
夢の中のわたしが感じたことは「言語を超越したもの」
であったということ。
普段の感覚や感情とは比べ物にならないくらい、
聴覚も、体感も、感情の動きも、何もかもが鮮やかだった。
 

夢の中で見た神様は、人間をこの世界につかわすことで
世界中の悲劇も喜劇も全部包括した
「豊かな経験の集合知」を生成していたようだった。
特定の信仰を持っているわけではないし、
血眼になって誰かに目に見えないものを説きたいとも思わないけれど
ここに来てくださった方にだけお話しさせていただきました。
 

※注…奇しくも2012年はニューエイジ系の終末思想のピークでしたね。
   マヤのひとびとが盛大に困惑していたような…
 

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